つるの日日是好日

台所仕事のブログでしたが、最近は介護話がメインです

衝撃の事実

年末に転倒して頭と腰を打った母。
救急車で搬送してもらい脳神経外科にかかった所、脳には異常は無いとの診断でした。

多分認知症の母ですが脳に問題が無いのは一安心、と言いたい所ですが、転倒してから2週間経っているのに「腰が痛い」と言い続けてました。

いくら年とっててもこんなに腰が痛いのが治らないのはおかしいと思い、今日「病院に行ってきたら?」と母に勧めました。
って言うか、そんなに痛いんだったら自発的に病院に行って欲しいのですが、そういう判断力も無くなってきてるんでしょうね。切ない。

その結果、なんと背骨の骨が3箇所折れていたそう。
手術する程ではなく、コルセットと痛み止めと骨粗鬆症の治療薬で自然治癒を狙う治療方針の様です。

私としては手術で入院して脚力が弱くなって寝たきり路線が一番困る事なので、この方針で良かったかなと思います。

でも「ごめんね、こんな事になっちゃって」と母に言われた時は、色々な意味で泣きそうになりました。


さて、暗い話題はここまでで、折角なのでご飯記録です。
12日の朝昼兼用ご飯はこちら。

カスピ海ヨーグルト+自家製ブルーベリージャムと自家製人参パンの生ハムサンドイッチ。

12日夜はこちら。

鶏もも肉、白菜のうどん。
出汁は鰹節を使いました。

13日の夕ご飯はこちら。

レタスサラダと、里芋のトマトソースグラタン。

とにかく母が冷蔵庫に大量に溜め込んだ食材を使い切る事を主眼としたメニューにしています。
大分冷蔵庫がスッキリしたので良い感じ。

11日までのご飯記録

コロナ休養中のご飯の記録です。

1月8日夕飯。

自家製チャーシュー丼とお味噌汁。

9日夕飯は鉄火丼。写真なし。

10日朝昼兼用ご飯はこちら。

自家製お餅と納豆とチョロギ。

10日の夜は豚汁のお雑煮。

11日夜は牛丼。

ちなみに、朝ご飯や昼ご飯は、それぞれで適当に食べてます。
用意する事は出来ますが、それだと母にとって考える機会を奪う事になると思うし、やれる事はやるべきだと思うのです。

私も来週月曜から出勤になるので、明後日あたりから母に夕ご飯を作って貰おうかなと考えてます。

やるべき事がないと、人はぼーっとしてしまいますから。。。

愚痴だらけの年末年始

年末に母が転倒して頭を打ち腰を痛め、ただでさえ脚が弱ってきてるのに更に動きが鈍重になり、ボケ具合も加速。
そして年末だからと帰ってきた父が元旦にコロナ発症。

5回も打ったワクチンのお陰か父の症状はそれほど酷くはなく、1月3日に「熱が下がったから、後はよろしく。」と実家に帰って行きました。

え、アナタ陽性なのに実家に帰るの?!実家にいる父の姉やその旦那さんはどうなるの?!
それと、4日は母を予約済みの脳神経外科に連れて行くって言ってたよね?!

要するに父は少しボケ気味の母に寄り添う気持ちは全く無く、私に丸投げした様です。
いざと言う時の決定権が無いから困るんだけどなぁ。

いやぁ、我が父ながら無責任すぎるでしょ、と失望。

海外に暮らす妹には心配はかけたく無いので普段は両親について報告する事は無いのですが、さすがに今回ばかりは愚痴メールを送りました。

妹は「お姉ちゃんもそんな状態だと疲れるし良く無いから、誰か他の人に頼った方がいいよ」と言ってくれたのが救いでした。

私といるときは素の状態でボケ気味の母ですが、妹と話す時はシャキッとした返答をするので、愚痴メールついでに、母へFaceTimeか電話して貰えるかな?と頼むと速攻で電話してくれた妹。
その会話を漏れ聞いていた所、母は「私の事はいいからアナタ達は楽しんで」と言っていたのですが、

私はアナタ達のお世話で年末年始全く楽しめてませんけど?!?!

もうクラクラしましたよ。自分の事は全部出来てます、的に言ってるけど、アナタ今介護状態ですよ?!?!
離れて暮らす妹にはいい顔するんですよね。全く。

4日は母が脳神経外科に行く日。
母は「タクシー呼べばいいんでしょ?」と口では言うのですが、自分でタクシー会社に電話する能力はありません。結局は私がタクシーの予約する羽目になりました。
母は、自分が出来ない事の認識も出来ないし(出来ない言い訳はきちんとする)、他人が自分の為にやってくれた事は自分がやった事と思う様です。
恐ろしい。

 

脳神経外科の診察結果としては、脳みそに問題は無いそうです。
こんなにボケ気味なのにCTスキャンでは分からないんだと衝撃。

私は5日からは仕事なので、濃厚接触者の解除の為、コロナ検査キットで調べた所陰性。
念の為母も検査キットで調べた所、陽性。。。。

父は3日に実家に帰った後、実家に住んでいる父の姉夫婦とその子供である従姉妹に

「陽性なのに何でこっちに戻ってきたんだ❗️」

と言われ5日に我が家に帰って来るついでに、5日に両親の発熱外来予約を取り付けました。

結果は検査キットの通りにPCR検査で二人とも陽性。
それに伴い、私の自宅待機は私がコロナにならない限りは9日までで、10日から出勤に決定しました。

やー、ボケ気味の母と食欲魔人かつ家の事は全くしない父のお世話が9日まで続くのかぁ。。。。
両親は自分達が隔離対象とは認識しておらず、私の部屋以外を自由に行き来しております。
両親の隔離、と言うより私の避難って感じです。
罹患しない為にも極力自宅にいないようにしなければ。

そして、家事など色々やるのはいいのですが、依存心が強い両親なので、やればやる程キリがないんですよね。
私がいようがいまいが、自分でやれる事はやって下さいって感じです。

下手したらこのまま介護生活に突入しそうなので、妹とも相談して私になるべく頼らないで済むようなシステムを考えないとね、という方向性で行くことにしました。
妹に理解があって本当に助かります。

さて、濃厚接触者になった事で私のお休みは9日までになりました。
面倒臭い事だらけだった年末年始ですが、7〜9日まではのんびり出来そうなので楽しもうと思います。

※父は平日は父の実家にいて仕事していて、週末に妻と子供(私)がいる我が家に帰ってきます。この形態になったのは父が定年退職してからです。

 

謹賀新年2023

年末に色々大変な事がありましたが、無事にお正月を迎えました。

お節やお雑煮を食べ酔っ払った為昼寝をした後、父に呼ばれました。
何かと思ったら

「熱が出てるからコロナの検査キット持ってきて」と。

マジで?!

検査キットの結果は陽性。
母も年末に頭と腰打って痛い痛いと言ってマトモに動けないから、父は戦力と考えていたのに、突然の戦線離脱。
これは厳しい。

濃厚接触者である私と母ですが、私がもしコロナに罹患した場合が一番困ります。
母は今腰を痛めていて日常生活が不自由な為、どうなるんだろうと。

そうなったらなったで何とかなるものなんですが、今は不安で一杯です。

こう言っちゃなんですが、不安な年明けの始まり。


そして、毎年我が家のお節を楽しみにしている相方に今年もお節を届けました。
相方は年末年始仕事なので冷蔵庫にこそっと。
元旦夜に帰ってきた相方のぼっち晩酌おかずとなりました。

美味しいと言って貰えたのは幸せです。

2022年の年末備忘録

30日の朝、鳴り続けている電話の音で目が覚めました。
恐らく帰宅する予定の父からだとは思うのですが、普段は母が電話を取るのにおかしいなぁと思い、眠い目を擦りながら起きると母がグッタリしてるではありませんか!!

「どうしたの?!大丈夫?!」

と聞くと、朝方起きてトイレに行こうと思ったらフラついてタンスに頭をぶつけたと。更に転んだ時の衝撃で腰も痛いとの事。

コロナ禍になって3年。それまでは毎日歩いていた母ですが、たまにしか歩かなくなった事で足の筋力がこの3年で物凄く落ちているのを感じてはいたのですが、ここまでとは…。

痛い痛いと言うのを宥めすかして椅子に座らせたのはいいものの、今日は父が決めている「餅搗きの日」。
母が昨晩餅米を水に浸しておいてくれたのは幸いして、無事第一弾の餅搗きは完了。
そのお餅を食べようとしていたら、母にトイレから呼ばれました。

行ってみると、「何か吐きそうだから袋持ってきて」と。

頭打って吐き気なんて相当まずい状態だと思って速攻で救急車を呼びました。
付き添いは当然父。父は「どっちが行ってもいいんだぞ」的な事言ってましたが、何か父に不自由がある訳じゃなし、私にはいざと言う時の決定権が無いんだから自発的に行くって言えよ、と思っちゃいました。
ちなみに、この間友人と話した時に聞いた名言

 

「お前の女だろ!!!!」

 

ってのを喉元で抑えましたよ…。

 

父は付き添い担当が自分だと決まってから、「じゃあ今のうちにちゃんとお餅食べておこうっと」などと言って、しっかり食べておりました。この人の食に対する情熱を母に少し分けて欲しい。

肝心の救急車ですが、この年末ですぐに来られる状況ではなく、先に消防隊員の方が来て母の様子を見てくれました。
救急車が出発してからは餅搗きの片付けと更なる餅搗き、母がアテに出来なくなってしまったお節作りを頑張りました。

夕ご飯は鉄火丼で簡単に。


31日。
午前中は洗濯してお煮染め作って終了。母も痛い痛いと言いつつも寝たきりではないし、父は良い大人なのでご飯は自分でやって下さいと放置。父は我が家では掃除洗濯は一切やりませんが、ご飯の事だけはやってくれるのはまあ有り難いです。

やらねばならない事が全て終わった後は、相方家へ息抜きへ。
相方は大晦日・元旦と仕事でいないのですが、「うち来てのんびりスプラトゥーンでもやってなよ」と言うお言葉に甘えました。

朝からバタバタしててご飯も食べていなかったので、相方家でお昼ご飯。
夕方近くまでノンビリ過ごして買い物して帰宅。

夕飯は年越し蕎麦。蕎麦とかき揚げは父が買ってきてくれて、出汁は私が作りました。

その後は両親と3人でテレビ観て、両親が寝た後独りで「ゆく年くる年」観て2022年最後の時間を過ごしました。

母が今回こうなった事は想定外でしたが、この忙しさは来るべきものがついに来たんだなぁ、これが通常になるんだなぁと実感した年末になりました。

仕事納めからのお泊まり

今年は27日に仕事納め。
夕ご飯を食べてから相方家へ2泊3日へ。

1泊目は相方は仕事で頂いたお弁当で晩酌。
私もお相伴に預かりました。

次の日相方は早朝出勤の為「いつもご飯」は無しで、ぼっち朝ごはん。

我が家ではお味噌汁は出ないので、久しぶりに飲んだ感じです。

夕ご飯は里芋とイカの煮物、蓮根チーズ焼き、パリパリチキン、茶碗蒸し、水菜のマヨポン和えを作ったのですが、写真撮り忘れ…。しまったなぁ。

29日も相方早朝出勤の為「いつもご飯」は無い上に、家の用事があるからと午前中に帰宅したら、その用事は明日だと言う事が判明。

最近母の記憶力低下が著しく、日付が覚えられていない事が増えてきました。
これはいつかは来る事だとは覚悟していましたが、実際そうなると辛いものですね。

それはさておき、折角早く帰ってきたのでお節料理をいくつか作りました。
今日は栗きんとん、牛蒡の八幡巻き、松葉焼き。

明日は父が帰ってきてお餅搗きの予定です。

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