30日の朝、鳴り続けている電話の音で目が覚めました。
恐らく帰宅する予定の父からだとは思うのですが、普段は母が電話を取るのにおかしいなぁと思い、眠い目を擦りながら起きると母がグッタリしてるではありませんか!!
「どうしたの?!大丈夫?!」
と聞くと、朝方起きてトイレに行こうと思ったらフラついてタンスに頭をぶつけたと。更に転んだ時の衝撃で腰も痛いとの事。
コロナ禍になって3年。それまでは毎日歩いていた母ですが、たまにしか歩かなくなった事で足の筋力がこの3年で物凄く落ちているのを感じてはいたのですが、ここまでとは…。
痛い痛いと言うのを宥めすかして椅子に座らせたのはいいものの、今日は父が決めている「餅搗きの日」。
母が昨晩餅米を水に浸しておいてくれたのは幸いして、無事第一弾の餅搗きは完了。
そのお餅を食べようとしていたら、母にトイレから呼ばれました。
行ってみると、「何か吐きそうだから袋持ってきて」と。
頭打って吐き気なんて相当まずい状態だと思って速攻で救急車を呼びました。
付き添いは当然父。父は「どっちが行ってもいいんだぞ」的な事言ってましたが、何か父に不自由がある訳じゃなし、私にはいざと言う時の決定権が無いんだから自発的に行くって言えよ、と思っちゃいました。
ちなみに、この間友人と話した時に聞いた名言
「お前の女だろ!!!!」
ってのを喉元で抑えましたよ…。
父は付き添い担当が自分だと決まってから、「じゃあ今のうちにちゃんとお餅食べておこうっと」などと言って、しっかり食べておりました。この人の食に対する情熱を母に少し分けて欲しい。
肝心の救急車ですが、この年末ですぐに来られる状況ではなく、先に消防隊員の方が来て母の様子を見てくれました。
救急車が出発してからは餅搗きの片付けと更なる餅搗き、母がアテに出来なくなってしまったお節作りを頑張りました。
夕ご飯は鉄火丼で簡単に。
31日。
午前中は洗濯してお煮染め作って終了。母も痛い痛いと言いつつも寝たきりではないし、父は良い大人なのでご飯は自分でやって下さいと放置。父は我が家では掃除洗濯は一切やりませんが、ご飯の事だけはやってくれるのはまあ有り難いです。
やらねばならない事が全て終わった後は、相方家へ息抜きへ。
相方は大晦日・元旦と仕事でいないのですが、「うち来てのんびりスプラトゥーンでもやってなよ」と言うお言葉に甘えました。
朝からバタバタしててご飯も食べていなかったので、相方家でお昼ご飯。
夕方近くまでノンビリ過ごして買い物して帰宅。
夕飯は年越し蕎麦。蕎麦とかき揚げは父が買ってきてくれて、出汁は私が作りました。
その後は両親と3人でテレビ観て、両親が寝た後独りで「ゆく年くる年」観て2022年最後の時間を過ごしました。
母が今回こうなった事は想定外でしたが、この忙しさは来るべきものがついに来たんだなぁ、これが通常になるんだなぁと実感した年末になりました。